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アジア、冬物語 山口泉:著 オーロラ自由アトリエ

¥1,980 税込

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■魂のふるえが文章を推し進めていくような文体に出会いました。誰の代理人でもない、この「わたくし」が発せずにはいられない言葉をくりだすという作業のみが、物書きの誠実を裏打ちするのだということをあらためて思っています。(日野市/O・Nさんの読者カードから)

■本書には、わたしたちが見えないと思いこんでいる現実があざやかに彫りこまれている。しかも、そんじょそこらのエッセイストの鈍感さなど比較にもならぬ鋭敏な感覚をもって、だ。その感覚に触発されれば、われわれもまた、魂の深いどこかに「かくあってほしい」ユートピアへ
の夢があることに目覚めるだろう。挑発に乗って、まず山口泉と〝論争〟してみようではないか。(井家上隆幸氏『量書狂読』三一書房刊)

■「豊か」で「平和」といわれる日本だが、近年その姿は一層見えにくくなっている。あふれるばかりのメディアのなかに現れる評論家などの言論に、私たちは何を見いだせばよいのか。その手掛かりを与えてくれる。(『信濃毎日新聞』1991年10月6日付)

■現在の日本では問題にされにくく、しかし最低限これだけは踏まえておかなければならない、という問題点が具体的な人物や事態や本(詳細な索引がありがたい)に即して網羅された本である。(小森収氏『サンデー毎日』1991年10月20日号)

■とりあえず背筋を伸ばして読みたい。(『宝島』1991年10月9日号)

■中央メディアが軒並み「日本は日本だ」という自明性にうつつをぬかした言説を流布している間に、アジア圏を含んだ視座から、メディアの表層を飾った数々の時事問題を巡ってなされた真摯な論考の数々は、今健全な知性がすべき作業がいかに膨大かを示す。「現在を荒野と感じうる、あなたに」という呼びかけで始まるこの論考を、孤独な作業のままで終わらせてはイケナイ。(『CITY ROAD』1991年10月9日号)

■底流にあるものは〈自由と平等〉をないがしろにする論理への透徹した批評精神である。刺激感いっぱいの状況論だ。(『CLIPPER』1991年10月10日号)

■エッセーという言葉から連想されるような気軽さはみじんもなく、おう盛な批評精神に貫かれた状況論といっていいだろう。(『河北新報』1991年10月20日付)

■表現する自己がどこにもない空疎な批評がまかり通る中にあって、ここにも一人、はっきりとした自己を持つ批評者が存在した。(伊達政保氏『ミュージック・マガジン』1991年11月号)

■『アジア、冬物語』の提示するパノラマはすさまじい。意思と意思との格闘、生きること、生きていることの葛藤。……この人の〈読者〉でなかったことを悔しくさえ思っているのが偽らぬところだ。(野分遙氏『労働法律旬報』1992年5月上旬号)

■ポスト全共闘きっての硬派。( 福嶋聡氏『よむ』1993年10月号)

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